吟遊

れんこんの穴食む朝のきらら風
洞窟の滴りの音訃報来る


  吟遊第34号が届いた。初めての投句、夏石番矢先生の選・評による俳句ギャラリーに載った。上記二句は原句のまま、推薦句として頂いた。投句枠7句のうち、特に気に入りの句ゆえ、嬉しい。


冬雀ガラスの柩開くとき

  
  提出「冬鴉があがあガラスの柩開く」を、上記のようになおされた。句ができたきっかけはほぼ原句の情景そのままで、ガラス温室のすぐ横の電線に鴉がとまっており、「があがあ」とひび割れた声で鳴いており、それがガラスに響いているように聞こえたのであった。温室から、ヨーロッパの教会でよく聖人の遺骸を納めているガラスの柩を連想し、原句とした。しかし、指摘された通り、鴉と柩はイメージが近すぎて、ありがちな情景しか連想されず、字面から沸き上がるイメージというのがない。雀なら、ぱっと飛び立つところがまず浮かんで、より切迫感のある句になった。


宙天に収束遺伝子地図の旅


  これは意味不明との評であったが、これこそ自己満ぞ句だったかもしれない。その心は書き出すと長くなるので次の機会に譲るが、平たく言えば「遺伝子という科学を突き詰めていけば行く程、理論では解明しきれない神の力ようなものを感じる時」、を書いたつもりであった。しかしこの表現では確かに何の事やらである。もっと消化が必要であろう。


  今回、人に見て頂くということを初めて経験し、とても勉強になった。あるきっかけがあって、「あっ」と心が揺れた瞬間から、最終的に句になるまで、かなりの推敲が必要だということがわかった。その「あっ」のまんまでは自分しかわからない句、飛翔できない凡庸な句になってしまうのだ。そう考えると、私のブログのように、日記スタイルで句のあとに解説を付けてしまうのはある意味ズルいのかもしれない。
  再び投句に挑戦し、読み手に伝わる表現を追求することをもって、夏石番矢先生への感謝に代えたい。
  先生、ありがとうございました。またよろしくお願いします。