2006-08-01から1ヶ月間の記事一覧
紫とさみどりの宵更けにけり 日中は雨であったが、夕方は清々しく晴れ上がり、薄紫色に更けていく夕空と、地上の緑の色が、ラベンダーと翠色の翡翠のようにベストマッチ。
九十九杯飲み干して百物語かな 図書館で「絶滅寸前季語辞典(夏井いつき著、東京堂出版)」という本を借りてきた。これがなかなか面白く、読み出したら止まらなくて、日曜半日を棒に振ってしまった。 季語に拘った作句は私の流儀ではないので、まとまって季…
ブロッケンに冥王星族集ひけり 冥王星が惑星でなくなり、矮惑星なるカテゴリーに格下げになったらしい。冥王星は月の半分以下という小ささのため、惑星といえるかどうかについては長く論議が絶えなかったという。冥王星を惑星にとどめるためには他の似たよう…
一周年自選企画後編。こうしてみるとアンバランスに作っているなあ。思うままに作る、という態度でいる以上、仕方ないけれど。2006 春 背中から翼が生える樹が生える 天体の目盛り進みて嵐来る 春嵐や蝙蝠の屍累々と 誰に書くあてもなけれど桜紙 もう曲がる…
ポンペイ忌 炎の残滓罌粟の花 今日は職場の飲み会。少しく飲んできた。Wikipediaによれば今日はポンペイが滅んだ日。自選の続きはまた明日。
今日でこのブログを始めてちょうど一年経った。この機会に自薦をしてみようと思い、まず全部の一覧を作った。こうしてみると、作る側の評価と読む人の評価は本当に違うなあと思う。我ながら名句!と思っても「よくわかんない」と言われたり、自分では「何の…
どこまでもどこまでも森青き闇 森は不思議なもので、奥の方から常に引きつける何かを感じる。山菜採りに入って遭難してしまうのは、この魔物に取り憑かれてしまうからである。
森の端に夏の星々傾ぶきぬ 休暇中はあいにくの天気だったが、灯りが全くない場所のこと、晴れていたらさぞ星が綺麗だっただろう。なにも遮るもののない丘の上で、一晩中星を眺めてみたい。
森深しあの日の我に会ひに来て 今週後半は夏休みを取り、十勝の中札内町にある農村休暇村で過ごした。おとぎ話に出てくるようなドイツ風のコテージに宿泊。携帯も通じない深い森の中、ゆったりと過ごすことが出来た。
翅ぷるるあずましからう竿の先 職場で育てている植物の支柱にしているポールの先にトンボが止まるようになった。その場所がよほど気に入ったらしく、何かの拍子にぴょいと飛び立ってもすぐ戻ってくる。そして、何を思っているのか、時々首をかしげるのである…
日曜日子供の叩くピアノの音 日曜に朝寝していると、近所の子供が練習しているたどたどしくも微笑ましいピアノが聞こえてくる。今日は「かえるの歌」だった。
遠夜汽車あの日の蛍乗せてをり 私の住んでいる町の駅は、一日に数えるほどしか汽車が通らない田舎駅である。車両も3両ほどなので、走る音も懐かしい。夜汽車の音に感じる郷愁は何故か夏のイメージ。
満月も溶けくづれたり熱帯夜 一昨日あたりから猛烈な暑さ、流石の北海道でも寝苦しい夜が続いている。夜風も湿っぽく、じっとりと肌に粘り着いてくる。東京の、延々数ヶ月続く熱帯夜に比べればかわいいものであるが、北海道の気候に順応してしまった体にはな…
夏の日の夢の欠片や孔雀蝶 部屋にクジャクチョウが迷い込んできて、窓のところでパタパタと暴れていた。クジャクチョウはタテハチョウの一種で、翅をたたんでいるときは地味な茶色だが、翅をひらくとご覧の通りの目も覚めるような美しさ。北海道では平地でご…
24万人のグラウンド・ゼロ今もなお 今日は原爆の日。今年までに亡くなった広島の被爆者の方は二十四万七千七百八十七人となった。グラウンド・ゼロは「爆心地」という意味で、広島・長崎の被爆地を指す場合もあるという。きな臭いニュースが絶えないように…
遠花火君の記憶も遠ざかり 花火はやはり東京に限る、と思う。隅田川や江戸川、多摩川の江戸情緒溢れる花火の風情は格別である。北海道に来てからは、あまり花火を見ていないので、花火は青春時代の思い出となっている。
幾光年行けども銀河また銀河 今道ばたなどの草地にはセリの仲間とおぼしき雑草がたくさん咲いている。ひとつひとつは銀河か星雲のような形をしており、それぞれが思い思いの方向を向いている。銀河系が星屑のように集まっているこんな天体写真がハッブル宇宙…
鳥であった日々想いつつ肩胛骨を揉む 肩胛骨は翼のなごり、というファンタジーがあるらしい。確かに、そんな気がしないでもでもない位置に肩胛骨はある。肩こりのひどいときには「ああ、翼の折れたアタクシ」などと呟いてみたりして。しかしながら、肩胛骨よ…