ポスター

ポスターが風に千切れる言の葉になる


  今回のポエトリーフェスには、この人の朗読が聴きたくて参加したのだという「お目当ての人」が幾人かいる。一方、今回初めて知って、好きになった詩人もいる。その一人が、ブルガリアのペータル・チェーホフ氏である。
  他の詩人達の詩の多くが、イメージを貼り合わせた二次元のコラージュのような印象であるのに対し、この方の詩は、一続きの動画のようなイメージとなって印象に残る。その表現は具象的でありながら全体として何かの比喩のような謎めかしさが漂っている。アンソロジーから一編ご紹介したい。静謐な官能性が漂うとてもロマンティックな一編である。



眠れる美女        ペータル・チェーホフ 土谷直人 訳  


彼女の人生に対する態度は
一動詞で要約される:
息をする


彼女は余りにも長く眠り過ぎ:彼女の夢は
部屋中にあふれ−
それは置き時計を水没させ
聖母子像と引き合っている。


彼女は驚いて、目が覚める。


彼女はゆっくりと意識を取り戻し
そして急がず−気がつく
誰かが彼女の肉体を
愛でているのだ。


ああ、王子様ではないのだ、そこで
残念そうに、また眠りに戻る。



  どこか、小川洋子さんの短編を思わせる。
  チェーホフ氏はスピーチも印象的だった。他の方々は「詩とはなにか」「詩人はいかにあるべきか」という観念的な話をされた方が多かったが、チェーホフ氏の話は、街に貼られた選挙ポスターについての一部始終だった。部分的にうろ覚えなのだが、ポスターに雨が降り、皺になりぼろぼろになり、千切れ千切れになった上にまた新しいポスターが貼られ、それを見たある夜千切れたポスターの破片から文字を探す夢を見た、というものだった。この話が何を意味したのか実はよく解らなかったのだが、その内容は芸術性のある一編のアニメーションとなって脳裏に焼き付いている。
  チェーホフ氏は俳句もつくり、世界俳句にも掲載されているが、このような動的な表現の特徴はある程度の長さがある詩でないと気がつきにくい。詩集の入手が難しい詩人だとは思うが、世界俳句などを通じて注目していきたい。