鎮魂歌

千年を漁る人の大き手よ
千の名を問へば千の答えくる
光りつつ綿毛つぎつぎ地に芽吹く
海凪げば家族同胞らの斉唱
遠かれど確かなる暁の光
鎮魂歌ひと息ごとに蝶になる
桜草かけがえのないひとの手に
父祖の地や夏の日に蝶かえりくる


  丸一月、ずいぶんと空けてしまった。今までにないスランプである。三月四月と立て続けにいろいろな出来事が自分と自分の身辺に起こり、いろいろな想いで頭が一杯になって、句作の手が止まってしまった。いろいろのうち一つはもちろん震災である。被災地では今だ壮絶な作業が続いている中、何を書いても薄っぺらく感じてしまう。万単位の死者・行方不明者というのはあまりにも想像を絶し、如何なる言葉も無力であることを感じる。また、震災の句を作るのも、「ネタにしている」ような気がして抵抗があった。
  だが、次のようなニュースに触れ、再び海とともに生きようとする人々への敬意を表現したいと思っていた。
http://news.goo.ne.jp/article/nbonline/business/nbonline-219268-01.html
  被災していない私に被災された方々の思いを推し量ることはできない。このように句にするのは、私自身の自己満足のためである。今だ絶望の中に居て、家族や財産を奪った海に怒りや恐怖しか感じない方も多いであろう。このような言葉が助けにならないどころか、傷つけてしまわないだろうか。まだ迷いがあるが、私自身一歩踏み出すためにも、ここに載せたいと思う。
  あれから二月になろうとしている今、少しずつ復興に向けて動き出し、こんな力強いプロジェクトもある。このポスターの言葉は素晴らしい。
http://fukkou-noroshi.jp/