滑走痕

ざっくり太く君の滑走痕奔る


sharply and boldly
tracks of your skies
are running


昨夜われを領しゐし手がしらかみにかくも無造作に垂線おろす  河野裕子「はやりを」

  河野裕子さんがご主人の永田和宏さんのことを詠った歌である。上の句の官能的な表現がとても鮮烈かつ印象的で、河野さん関連の解説文で幾度も引用されている。その鮮烈な上の句に眼を奪われがちであるが、実はこの歌の主題は後半の方にあるのだと思う。
  女が日頃男性と接するなかで、日常の何気ない動作に、「あぁ、男の人だなあ」と感じることがある。私も、アウトドアワークやフィールドワークが多い職業柄、例えば男性の同僚が重いものを軽々と持ち上げたり、闖入したスズメバチを臆せず退治したり、といった場面で、このような感慨を覚える機会が多い。この、好意とかそういうもの以前に感じる「男の人だなあ」という感慨が、この歌の主題なのだ。
 それにしても、力仕事などいかにもなことではなく、白紙に線を引く、という繊細な動作の中にそれを見出しているのが河野さんの感性の非凡なところ。定規を押さえる指の力、線を引くときの思い切りの良さ・・・。河野さん自身に、こわごわ定規をあてて、恐る恐る線を引いて、結局曲がっちゃったりして・・・といった女ながらの経験があったに違いない。そして、「あぁ、線ひとつ引くのも、男はんなんやなあ(京都のかただから、こんな感じ?)」と思ってから、その手が「昨夜われを領し」たことが思い起こされたのであろう。ジャッと切れのよい鉛筆の音が聞こえてきそうな、秀逸な表現である。