源流

源流に立てば遙かなる海と俳句


  苫小牧でフェリーを下りてから、連絡の汽車まで時間ができてしまったので、駅前の書店で適当に新書を見繕って喫茶店に入った。その時、たまたま目について選んだのが大野晋著「日本語の源流を求めて」であった。ところが、これが非常に面白く、待ち時間はあっという間に経ってしまい、汽車の中ではもちろん、家に着いて暖房のスイッチを入れるのもそこそこに、すっかり読みふけってしまった。
  本書はタイトルの通り言語学的に日本語のルーツを探るというものである。驚くべき事に、いわゆるやまとことばの中には、南インドタミル語との間に共通の言葉がたくさんあり、日本語の大きな源流の一つがタミル語であるというのだ。それらの言葉は、弥生時代に発生した文化(稲作、機織りなど)を中心に、物質的なものから抽象的な言葉まで数多くあり、民俗的な風習にもたくさん共通するものがあるという。それだけではない。私たちが日本固有のものと思っている五・七・五の韻律は、実は古代タミルの歌集(日本の万葉集のようなもの)に数多く見られ、そこにオリジンを見いだすことが出来るのだという。
  この本でそれを知って、何というか、南インドに向かって、頭の中を風が吹き抜けたような心地がした。今自分が作っている短歌や俳句の韻律五・七・五は、海洋民族タミル人が、遙か古代に日本にもたらしたものであったのだ。かつて熱帯の色鮮やかな鳥達や、薫り高い白檀や睡蓮の花の世界を詠ったリズムが、海を越えてやってきて、日本で詩歌として発達し、現代に至り短歌や俳句にまで進化したと思うとわくわくする。
  そして、もし、五・七・五の最進化型であり、日本から更に海を越えて行きつつある俳句と、タミル人が出会ったとしたらどうだろう。もしタミル人の俳人が現れたら、それはなんとも愉しいことではないか。
  思いもかけず新たな世界が広がった素晴らしい待ち時間、たまには待たされるのも悪くはないものだと思ったことであった。