alzira2009-12-05

水色の嫉妬もあれば天の原


in the blue sky
some jealouses are
watercolores



  ブロークバック・マウンテンの原作本が届いた。残業で遅く帰宅した後でもサラッと読めてしまう短編の著者はアニー・プルー、「シッピング・ニュース」でピュリツァー賞に輝いた作家とのことである。どうしても読みながら頭の中で映像を再生してしまうのだが、短いながらエッセンスは凝縮されている。本と映画を比べてみると、原作に忠実ながらも計算されつくした演出が、映画に厚みを持たせ、本質を浮き立たせていることがわかる。
  この物語の主題は、「魂の片割れ」に巡り合うことは時に悲劇をもたらす、ということのように思う。何よりもかけがえのない魂の片割れと思える人は、結ばれる障害のない若い男女として巡り合うとは限らない。そして、そのような巡り合いは当事者二人だけでなく、関わった周囲の人々も幸せにはしない。魂の片割れと巡り合ってしまったら、他の誰かでは満足できなくなってしまうからである。主人公それぞれの妻、ガールフレンド、女の浮気相手。更に、物語ではジャック(ジェイク・ギレンホール)にもう一人男の恋人がいたらしいことが仄めかされる。だが、誰一人幸福になっていない事実。誰も、お互いの代わりになれなかったのだ。女たちは、夫や恋人が求める人は別にいることを敏感に察知し、侵蝕され、離れていく。原作ではジャックの口を通じて間接的にしか語られない妻ラリーン(アン・ハサウェイ)の変化が、映画では見て取れる。ロデオ大会の出会いのシーンでは、ラリーンは馬上から男にウインクし、その夜車のバックシートで男を押し倒す、生命力にあふれた勝気な女性である。それが、終盤イニス(ヒース・レジャー)からの電話にジャックの死を伝える場面では生気も表情もなく、原作どおり「雪のように冷たい」口調。彼女もまた、自分を芯からは愛さない男に侵蝕されたひとりなのである。ジャックの死が、イニスの想像通り殺害されたのか、本当にただの事故だったのかは、映画でも原作でも詳細には語られず、読者の推察に任されるが、私は想像する。ジャックのもう一人の男の恋人が、自分がイニスの代用品に過ぎないことを悟った時に、ジャックを暴漢の前に売ったのではないだろうか。
  原作でとても美しいと思った一文がある。映画では過度の説明を避けられていたが、先に帰ってゆくイニスの後姿を見送りながら、ブロークバック・マウンテンでの情景をジャックが回想するシーンがある。それはただ美しいだけの思い出ではなく、ジャックにとって特別な一瞬だったことが原作には記されている。立ち尽くすジャックを後ろから静かに抱擁したイニス、そのとき味わった魔法のような幸福感。求めても再び手に入ることはなかったその一瞬はについての記述はとても美しく、原作を読んで映画が味わい深くなる一説である。