ノルウェイの森

読み継ぐべきもの赤と緑の書を運ぶ


the red green book
that spoke
passed down to the next


  村上春樹ノルウェイの森」読了。未読だったのか!?といわれても仕方ない。DVDで観た「ザ・ウォーカー」を意識した句にしてみた。
ノルウェイの森 上 (講談社文庫)ノルウェイの森 下 (講談社文庫)
  映画は未読状態で観たのだが、読んでみるとかなり重要なところが省略されたり変更されたりしていると思う。
  その一つが、主人公ワタナベにとって重要な女性「緑」の描写である。原作の緑はかなりパンクで、ベリーショートの髪に「緑という名前なのに緑色が似合わない」(つまりブルー系が似合う?)、「全然家庭的に見えないが、実は料理上手で、病気の家族の介護もしているしっかり者」なのだが、水原希子のルックスでは、ふっくらした桃色の唇に緑色はとても似合いそうだし、お料理も得意そうに見える。儚げでこの世のものでない感のある直子と対比として、生命力に溢れて地に足のついている緑のヴィジュアルは大事だと思うのだが。
 もう一つは、レイコさんの役割である。直子の死の直後、レイコさんがワタナベの下宿を訪ねてそのまま泊まり、ワタナベがレイコさんを抱く場面は、原作では物語の要とも言うべき部分である。直子の死後、喪失感のあまり混乱をきたしていたワタナベの背中を押し、現実世界へ戻る一歩を踏み出させるという、とても重要な役割をレイコさんは果たす。登場人物中唯一の大人であり、療養所で直子の支えとなり、ワタナベと直子の関係を見守ってきたレイコさんのこの役割は、小説中に繰り返し出てくるエウリピデス(大学の演劇史の講義でワタナベが学んでいるという設定)の神(デウス・エクス・マキナ)とダブルイメージにもなっている。だからこそ小説のクライマックスにこのシーンが置かれていて、物語中最も印象的であり、ウィットと暖かさに溢れているのである。ところが映画でのこのシーンの描写はおざなりで暗く冷たい。レイコさんの役割も消失し、単に療養所の相方を失った寂しさを埋めに来たという感じ、ワタナベも完全に受身の風情なのだ。こんな重要な部分が抜けちゃって物語として成り立つのかという気さえしてくる。