砂時計 弐

砂時計いま落ち終はるいま終はる
the fall of sands in sandgrass
is finishing
now, right now


  時実新子の自伝小説「小説 新子」を読んでいる。川柳の作風そのままの、激しい自分と人生を吐露するような自伝である。
  この本で知ったのだが、時実さんは川柳以前、最初短歌を作っていた。それを読んで、ああそうだったのか、と思った。時実新子の川柳には、言い切らずに余韻を残し、続き(下の句)を読者の想像に委ねているような作風があり、それが魅力の一つとなっている。これは、短歌から川柳や俳句に移った者にはよくわかり腑に落ちるのである。


たとえば、次の句は、何となく下の句がありそうなところを寸止めにしているようにも思える。


倖せを言われ言い訳せずにおき
野菊咲く 心落としてきたような
トンネル鉄線トンネル鉄線人生は


  短歌でべったり表現すると重いようなことを、十七文字で軽やかにまとめる。但し、言い切らず余韻を残す。そういうのをちょっとかっこよく感じる感覚もよく理解できる。
  ちなみに、書中に出てきた時実新子の短歌はこちら。


  酒のわざにあらず素面の暴力に死ねとや死ねと雄叫ぶわれは      時実新子


  激しい歌につきあうのには年だから疲れるとの理由で短歌の先生に破門されたとのことである。川柳への道を進むのは必然であっただろう。